モノごとの流れを考えるときの粒度とは?

JUGEMテーマ:アート・デザイン

 

今年、令和となった なかにしひさみちの夏は、この自己組織化ラーニングファシリテーター講座にコミットして、割と頑張って学んでいました。その学びの中でも登場してキーになる考え方が、工場フェーズ、工房フェーズ、変容フェーズです。

 

こうしたどれかが良い悪いではなく、それぞれの人の社会背景や今までの経験から時節というか段階や状態を理解して学びのコミュニティをつくっていきましょうって話です。

 

工場フェーズとは、効率化やコストを最優先に部分最適化も起こりがちな状況で、決められたことを守ることを第一に考える状態。
人間自身を機械化してその状態に身体や心の悲鳴が出ていても、同調圧力や本当の気持ちを見えないようにする洗脳的な順位付けや飴とムチで機能させていくような方向に向かうことが多い時期のこと。こう書くと非常に地獄感満載ですが、わたしも工場で仕事を覚えた身ですので身体の所作や業務を定型的に整えていくことは非常に難しい事でもありますが、一種のあこがれもあり目指していたことでもありました。
で、この講座で語られる工場フェーズの次の工房フェーズは、多動に間違いを恐れず色々な試作して実行(トライ&エラー)の実践していく学びや共創の動きを「工房」として捉えられていました。が、問題は変容フェーズです。
一言でいうとカオス(混乱)の状態で、エネルギー自体は大きく動いているが方向が定まらないドロドロのさなぎの中の幼虫状態。未来への可能性や躍動の種が不規則に動いて予測不能の状態って訳です。
矢印の向きというか変化の順番(夏が来て、秋か、秋が来て夏。かの疑問)も考察が必要ですが、私は単純に工場と工房というのは表現として同じ粒度だけど、変容って粒度の違う表現だと違和感でした。
それを色々掘り下げてみると、この粒度を意識することでモノごとのメタ認知も進みやすく、モノづくりでも人の生き方や仕事でも大事な「品質」という良き考えをカタチにする意味のある時期だと気付きました。
 
わたしは、1990年代初頭からプラスチック製品を製造試作する工場にも勤務して品質管理と社内IT化をまとめるという仕事をしていたのですが、フリーランスとなって工場だけでなく営業系販売会社のIT化なども知人からの紹介で上流工程から仕様をまとめるお手伝いもしていました。
その時、業務のフロー図(流れ図)を顧客からヒアリングして2次元的にまとめるのですが、ここには工学的な情報整理の技術が必要とされる部分でした。本に書いていた言葉でしたが、“粒度”という使い方を初めて知りました。


例えば、工場や工房とすると分かりにくいので、夕飯をつくる場合のフロー(流れ)をヒアリングで聞き取り記述する場合で考えてみます。

いつものスーパーに買い物に行く→安いメイン食材見つける(例:今日はカルビ安いから焼肉だ!)→家の使える食材を思い出す(例:タレが確か少ないか古い)→足りない食材を買う(例:タレを買う)→家に到着後冷蔵庫等に仕分ける。

 

これではまだ粒度が細かすぎなんです。さらに抽象化して、

 <買い物業務> トリガー:冷蔵庫にメインの食材が無い

 スーパーに行く→主食を決定(選定基準:安い)→主食材料の選定→不足材料の購入→その他予算内で買う→帰宅→冷蔵庫仕訳

これでもまだシンプルにできるはず。
選定基準をフロー図に入れたくなって来て書いてますが、もっと突き詰めると、
   食料品仕入→主食選定→主食購入→不足材料選定→不足材料購入→その他購入→帰宅→冷蔵庫仕訳
という風に、結果どうするというアクションの所に着目して、判断条件や前提条件は無視して記述すると粒度がそろい、買い物先でやっていることは、主食と不足材料の選定と購入。それを工程が起こってから行った先で繰り返し行っているということが見えてきます。
この状態まで考えて、試して、やってみるというフェーズがもう既に工房フェーズだと思いますが、あくまでも実践、実務を伴うことで同時に、条件や前提が狂ってくることでカオス(エネルギー充満したドロドロの状態)になると思います。
それに耐えて、その場に居続けようとする力と様々な実践のかけらが偶発性と良い考えとは何なんだろう?と内省する意識の作用で品となり質となるのが変容だとおもったのです。
だから、
工場と工房という粒度では、そろっていないと思われた変容という表現は、私は「芸術家」かなとおもっています。そしてその役割は、社会構成する人と人の関係性を編みながら現時点の「良」の意識を問い続ける、品質を変容させて行く役割だと思っています。