中西寿道にとって与贈工房とは?

JUGEMテーマ:アート・デザイン

 

先日7月19日〜26日、京都とオンラインのハイブリッドで「自分と大切な人の未来を本気で考える2日間 」というワークショップを一休みの学校と共催した団体が、与贈工房

 

ひとことで言い表すのが難しいが、1年ほど前にサイトに載せるために、「中西寿道にとって与贈工房とは?」を寄稿した。

現在、そのときのサイトはクローズとなったがオンラインでつながるこの仲間が田原真人さんとのつながりでうまれて2年ほど。

 

しかし、今ではなくてはならない場とつながりになっている。この不思議な空間は、自分にとってなんなんだろう?

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最後まで、自分にとって与贈工房とは?ということを言語化できないでいた。

 

それは中学生の頃、好きな子にラブレターをどう書いてどの様に渡そうか?悶々と妄想を繰り返し、気持は一杯あっても自意識過剰、理想も高い。結局、渡させない自分に言い訳をして自己肯定できずにいる自分を思い出す。

 

大人になり、そのナイーブな感覚は、妙なこだわりになって自分を刺激する。

 

じっくりと書きたいので、まず体調整え、運気も乗った状態で静かな落着ける環境に浸って最高の気分で表現したい。常に何かに追われている気分で落着かない。そんな理解されにくい理由で決めることが後回しになり仕事が先送りとなることもある。


そうしたとき、最近の私は小さな旅をする。

 

この空白を勇気を持って産み出すことを命がけでリラックスする気分で行う。それは「一休み」と呼んでクリエイティブでいる為の肯定的な行動として世の中に在っても良いコトとして広げたい夢でもある。

 

しかし現状を受け止めて、大きな発想とアイデアで現実を変えて行くためには、様々な表現ができる場と仲間が必要だった。私はそうした仲間や場を探すような旅が少なくとも、40年以上続いている年季の入った旅人だ。

 

古くは雑誌の文通欄、異業種交流会、インターネットの時代になると掲示板にブログも一番に使った。スカイプだってすぐに実験。昨今では多動することが肯定的に理解され、ハイ・コンセプトが当たり前の世の中では価値としても認められる。やっと日の目を観そうな時代となったが、どこにも属していない根無しの不安は依然としてある。アウェー感が半端ない。

 

その長い不安の極限で、人生の節目となる大きな事故を起こし仕事も生活も大きく変わる時に田原さんとの交流が深まった。その頃はまだ昼間の仕事も安定せず必死でオンライン主体の生き方も模索のとき。その活動が救いであった。

 

7人の侍の様に、互いに違う個性や能力を認め、いのちの宿る自己組織化するムーブメントを起こす。科学者で実践家、インディジョーンズのようでもある田原さんと家族のような仲間たち。オンラインの中に、生身の人がいる。

 

与贈工房というプロジェクトは、真の自由を自分達で産み出していく結社であり、私にとって、はじめてアウェー感を感じず、志を共にする安心感を得た場所。意識と現実を繋ぎ、どこに居ても世界に貢献の在り方で居れる山小屋。ロッジであり、社(やしろ)である。ここを拠点に越境し、創発が起こる歩みを続けて行く。